グリッドマン(六花とアカネ)の妄想と感想と考察、ほぼ女の関係性

 はじめに

 Twitterのつぶやきの延長線上で書いたもので、適当な妄想です。原作もラジオも知りません。アニメオンリーです。

気になったところを一応話数順に書いていきたいけど、無理そう

 

 まず、解釈はいろいろあると思いますが、今のところ

「12話最後の実写女性が現実のアカネで、クラスに馴染めないなどの理由で、学校に行けていなくて、CW(コンピューターワールド)にこもってアカネを演じていた。そして、六花は現実世界にもいてそれを元にCW内の六花が作られている。EDの実写映像に出てくる六花とアカネは現実の六花とアカネを表している。」というスタンスで考えています。

 

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 1話

グリッドマンはなぜCWに?→アレクシスを捕まえる使命のために。

  1. 12話で「ハイパーワールドへ帰還」「アレクシスを捕まえて、使命は終わった」とのことなのでアレクシスを捕まえるためにハイパーワールドからCWに向かった事がわかる。
  2. 裕太とジャンク+4人で6個の光に分かれてるシーンが最初にあるが、10話で「俺たちはバラバラにされた」「アレクシス・ケリヴに」とあることから恐らくグリッドマン一行はアレクシスによりバラバラになった。このシーンは5話でも槍のようなものでバラバラになる夢を見るところで再び出てきています。

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  3. 12話の「懐かしい姿じゃないか、グリッドマン」というセリフからグリッドマンとアレクシスはCWに来る前から互いを知っていることが分かる。実際に戦ったことがある。まで言えるかな?2話で「なんでみんな死んじゃったことになってるの?」という六花の疑問に対してキャリバーは「怪獣に襲われた結果だ」とすぐに答えていることからも、アレクシスが作る怪獣の事を知っていた。キャリバーは被害にあっている学校に行くシーンはあったけど、問川たちと面識はないし、もともと怪獣を知ってないと予想はできてもここまで断言できないと個人的に思う。一方でマックスは5話で「怪獣はどこから生まれてくるのか?」って疑問を持ってるからグリッドマン側に認識の差があっておかしいなと思っていたんだけど、7話でグリッドマンの「その少女に関する情報も持っていない」に対して「今のグリッドマンは完全ではない」「俺たちも、人の事は言えないけどね」と言ってるから、グリッドマン一行の記憶が曖昧なのかなと納得した。ただ4話でアレクシスが「あのお客様の正体は私にもわからない」と言ってるが、これは完全に嘘だと思いますw
  4. アレクシスは12話で「元よりこの世界には何もなかった。だが、怪獣を与えられたアカネ君の理想の街は育ち、また破壊もした。」ことからアカネの歪んだ心を利用して神様としてアカネを利用していたと考えられる。

 これらのことからグリッドマンは新条アカネを利用して悪事を働くアレクシスを追って、ハイパーワールドからCWに来たがアレクシスにバラバラにされて、裕太に宿ったと考えられる。

 

 

 

じゃあ、なぜ響裕太に宿った?→宝多六花を好きだったから

 

 これは11話の「なぜグリッドマンが響裕太に宿ったのか?」「彼だけが新庄アカネの世界で...」から見ていきたい。

 

この言い方からグリッドマンが裕太に宿ったときには既にアレクシスが新条アカネの世界を作っていたことが明らか。さらに前述したように、グリッドマンはアレクシスを追っていたと考えられる。そこで、標的であるアレクシスが操る新条アカネの世界で、「アカネと敵対できる」「アカネが好きになっていない」人間に宿る必要があり、アカネではなく六花のことが好きな響裕太に宿った。

 

 また12話のこのシーンで

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仲がいい友達じゃない裕太たちがアカネを助けてあげることで、友達設定されたからじゃなく、アカネを助けた。それをアカネにわかってもらって、友達設定なんてしなくてもいいんだよ、と伝えたかった。とかだったらいいな。と妄想してます。

 

 と考えられるわけだけど、記憶を失う裕太が六花を好きだったか事については1話で

  1. 「記憶がないってことはさ、今日の事、全部覚えてないってこと?」「うん...」「そっか...」「でも記憶喪失のフリだったら最悪だかんね」「なんかあったの?」に対して沈黙、それはYESってことですよ!
  2. 色々あって「六花の家の前」までいる。

  3. そのあと裕太に「どうゆう関係?」と訊かれて、困ったような躊躇ったような表情をして、間をおいてから「悪いけど、初めてこんなに喋った感じだよ」と答える。間があったこと、ドーナツを一気に飲み込んだことからも何か隠していても不思議ではない感じではある。

等があったわけだけど、1と2を見て一番最初に考えられるのは「裕太が六花に告白して振られたor少し考えさせて」のパターンは最初に思いつくやつで、「でも記憶喪失のフリだったら最悪だかんね」がぴったり合うし、「そっか...」の寂しそうな言い方、「どうゆう関係?」には簡単には答えられない、9話でアカネが同じシチュエーションで裕太と恋人同士になってるから整合性のある話だと思う。

ただなぁ、12話でグリッドマンが「私が宿ってもなお、六花への思いが変わらなかったように」って言ったときに六花が驚きすぎてるのと、六花が裕太の好意を回想するシーンが席から視線を向けるだけで、告られてたらその時を回想すると思うんだよな。だから告白までは言ってないけど、学校帰りにいろいろあって楽しいことがあって、少し仲良くなって六花を家の前まで送って、告白しようとしていたら、ヘタレだからなかなか言えずそのうちにグリッドマンが宿ったパターンもなくもない?ないか。

 

 

2話と3話はあまり書くことないからOPとEDについて

 

 

 OPについて

 

 12話で「私に広い世界なんて無理だよ」って言ってること等から元々部屋に閉じこもっていたアカネにアレクシスが街と怪獣を与えて、「作り物のようなこの日々」が成り立っていて、アカネの望み通りの学園生活を送っていたと考えられる。部屋に閉じこもっていたのは、クラスの人との不調和、馴染めなさがあったと考えられる。そうでなければクラス全員に好かれる(ように設定した)ことを強調しないと思う。OPの映像でクラスの外にいるアカネがいる事からもそれはわかる。6話で「なんで神様が普通の都立高通ってるんだろう?」という疑問の答えは、「現実世界で普通の都立高のクラスに馴染めずに、学校へ行けず部屋に閉じこもっていたアカネがCWの世界をアレクシスの力で作って、うまくいかなかった学園生活をやり直すため」だと考えられる。この考えで行くと、クラスをやり直すために現実と同じような人をCW内でもアカネは作ったと思います。12話でアレクシスが「レプリコンポイド」といってることから現実の「複製」であるとも考えられます。自分の想像だけで、クラス全員分の人間を作ることも難しいと思うし。

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OPで前半映像の中でBメロに入ったとたんにグリッドマン一行が風に吹かれて動きが出るの、好きです。OPのアカネのカッターが床に落ちるカット、六花とアカネと思われる人が手をつないでるカット、アカネが笑顔のカットは見ていて物語の展開にわくわくしちゃう。「君を退屈から救いに来た」も実際に、思い通りいってしまう怪獣の世界では、アカネは退屈していたとは言える。そこにグリッドマンが来て、アカネが思い通りにならない物を思い通りにしようと新たな怪獣を模索することは退屈ではなく、その点で救ってると思った。

 

 

 EDについて

 

 ED見たときにこのアニメを見続けようと思ったくらい、好きです。顔が良いJKが仲良くする映像が良くないわけがないんだよね。グリッドマンを見始めた最初のほうは、最後のカットでの六花の表情が意味深すぎて展開どうなっちゃうの?と不安が募る日々でした。

 

EDの最初の六花のシーンでは季節は冬で窓の外(アカネとじゃれ合ってた渡り廊下の屋上?)を見ていて、なみことはっすとのシーンからアカネがいない席に移ります。

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ここまでは服装、画面全体の色から季節は冬であるといえる。その次の回想シーンでは初々しい制服、新緑が反射しているような画面色から春に六花とアカネが出会って仲良くなった回想をしていると思います。

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夕日の中でアカネが音楽に合わせて指で鍵盤を歩いていくかのような動きもいい。同じような動きで一歩、六花のほうに近寄っていくあのシーンもいい!と最高の気分になるが、そのあとの冬の六花が一人で渡り廊下の屋上にいるシーンで、一転「何があったの!?大丈夫!?」って不安な気持ちになると思う。

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EDをまとめると、「アカネがいない冬に六花がアカネとの馴れ初めの1学期を思い出して、黄昏る」みたいな感じだと思うんだけど、このEDは現実なのかCWの中なのかで解釈が分かれて、最後の六花のシーンの見方がかなり変わってくる。

 

  1. EDの世界はCW内の話

 こう考えるのはいたって妥当で、実写の映像にアニメタッチのキャラクターを乗せるという技法はこれまでもあったわけだし、アニメ内のクラスメイトの喋り方やヴィットの「そこになかったら、ないっすね~」など今風、2018年っぽさ(作中に2018年のカレンダーや学際のポスター等2018年を示すものが多いことからも)、現実感を作品に出そうとしている雰囲気があるのでその一環としての表現方法であると考えられる。

 4話で「うちら家近いし、前はよく一緒に学校行ったりしたけど、最近あんまり話してなかったって言うか...」といってるし、8話の夢の中で最初に、4月に保健室で出会う夢(裕太と内海の夢の入り方はCWで実際の出来事であったから、六花の夢のこの出来事もCW内で実際にあったことだと考えてます。ここで彼らがみている夢は、たいそれた夢ではなく、少し行動や発言が違ったらありえた世界だと思ってるからです。)を見てることからも4月に仲良くなったと考えることができる事からも整合性が取れる。

 そうなるとアカネが去ってしまった12話で冬が訪れて、そのアカネがいなくなった冬の世界で六花はいなくなったアカネの席が視界に入っては、アカネがいた季節を思い出したり、一人でアカネと遊んだ屋上に行ってみたりするんですよ。つらい。つらすぎないか?つらすぎません?そんで、六花の性格だから、繊細な私たちの神様は現実世界でちゃんと馴染めてるのかな、友達を頼れているかな、とか心配してるわけですよ。いやー、きつい。想像するだけで心がきついよ。

 

 このままEDの世界は現実の世界の話をしたいけど先に4話の話をしちゃった方が分かりやすいので

 

 4話

 

 4話いいですね。12話の中でも上位に入る好きさです。「ちょっとさー、アンチに殺してほしい人が4人くらいいるんだけど。」の声の震えている感じいい。いや「合コンじゃねーか」の後に、六花の太ももと腋にフィーチャーしたカメラ目線と「なんか危なっかしいよ?」がいい演出ですね。

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あと疑問なのが、4話冒頭ではカーディガンを着ていた六花が半袖になるんですけど、なんで六花はカーディガンを壁にかけてるの?そうゆうもんなの?

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 ここからが本題なんですけど、バス停のシーン。気になる点といえば...

 

なぜアカネは六花の後ろの座席に座ったのか!!!

 

 OPやEDを除くと、このシーンからですよね。「あれ?六花とアカネの関係って...?なんか尊い匂いがするぞ??」って思い始めたのは。裕太がグリッドマンであることの確証を得るためにアカネが六花に接近する回なんだけど、「すごい久しぶりな気がする」「なにがー?」「ほら、うちら家近いし前はよく一緒に学校行ったりしたけど、最近あんまり話してなかったって言うか...」「そうかなー、全然気づかなかった!」その後バスで後ろの座席に座り「だから、なんでって聞いてるんだけど」につながる。なんでそんなにイラつくの?落ち着いてアカネちゃん!?って感想になりました。このときアカネはグリッドマンにはイラついているが、六花にもそんな態度をとる必要はない。また、アカネって1、2、4話などで嫌なことがあるとイラついて怪獣で解決しようとするんだけど、怒りをを複製のキャラクターに伝える、ぶつけることはない。アカネはこの時点では、キャラクターは自分で作ったおもちゃであり、低レベルのものに怒っても仕方がないからだと思ってると感じました。例えば、ゲームをやってて上手くいかないとイライラすることもあるけど、だからといってゲーム内のキャラクターを怒鳴っても仕方がないように。

 なのに六花にはイラついてしまっていた。裕太のことを聞き出すためには、バス内でも隣の席に座るべきだし、「だから、なんでって聞いてるんだけど」ってイラつくのはよくないはずだった。ならば、六花には常にこんな態度をとっているのかというとそうではい。(情報収集のためだけど)六花と遊びに行ったり、同話で「六花もそんなとこいると危ないよー」と気にしていたり、5話で日焼け止め塗ってもらってからかったりしていているから。ならばこのシーンの六花の会話や行動がアカネの心の何かに触れたと考えることができる。

 では、会話の中でアカネの心境を変化させた会話って何かっていうと、「ほら、うちら家近いし前はよく一緒に学校行ったりしたけど、最近あんまり話してなかったって言うか...」だと思うんだよね。これに対してアカネは「そうかなー、全然気づかなかった!」ってはぐらかしている気がしてるから。8話で「やっぱ六花は良いよ。」って言ってることからも最初のころに仲良くなったことは覚えているはずだし。「そうだねー、久しぶりだね」って返せば何ら問題ないし、裕太についての情報収集するならこっちの流れのほうが好印象だと思うんだよな。さっきも言ったように自分が作ったキャラクターが何を言っても、アカネはその場では取り繕って冷静でいられたと思う(4話で大学生に怪獣のことを言及された時も、スペシャルドッグをつぶされた時も)。そう考えると、なぜアカネが心を乱されたかの理由は一つしかなくて、「自分で作ったキャラクターとしての六花ではなく、現実の世界の六花に言われたから」だと思う。

 CWの六花が喋ってるんだけど、現実の六花に言われたと思った。といえる。神様と作ったものの関係ではなく、人間と人間の関係で言われたセリフだと、アカネは感じていると思います。CWのキャラクターは現実世界の複製であると考えることは前に述べた。このことから現実の六花とアカネの関係もCW内の六花と同じように4月に仲良くなってだんだん疎遠になっていったと思います。現実アカネが現実六花と1学期には仲が良かったけど、現実六花が他の友達(はっすやなみこ)とも仲良くなるにつれて、1学期の終わり・夏休みごろから六花とアカネは疎遠になっていき、アカネの居場所がなくなっていく。冬である現在は、学校に来ていない。というのが現実世界での2人の関係だと考えています。

 多分六花は、現実でもなみことはっすのグループに属していて、当然アカネも友達だって思ってる。ここの2人のすれ違いは8話以降さんざんやるので、少し飛ばして、とにかくアカネからすれば六花が遠ざかって行って他のグループに行ったととらえてると思います。

 そう考えているアカネからするとCW内で現実逃避していたところに、突然現実の話を六花に突き付けられて「そうかなー、全然気づかなかった!」ってはぐらかしてるのは納得できると思う。だからこそ、急にアカネは六花に隔たりを感じて当たり前のように六花の後ろの座席に座る。4話ではもう六花との関係をあきらめてるというか、現実六花への失望感とか諦め感をアニメ六花へぶつけてるような感じさえもあると思っていて、アカネは六花とはもう関わらずに学園生活をうまく過ごそうと思ってそうだと思います。これは8話の「やっぱ六花は良いよ。」のセリフが1度はアカネが六花から離れていった事を示唆していることからも妥当かなと。もうどうでもいい元彼への対応って言葉が個人的にしっくりくる。

 ただここでかわいそうなのはアニメ六花で、現実の六花のせいで(実際には現実の六花は他にも友達がいて、グループに属していた。とかで全く悪くない)アカネに勝手に、コミュニケーションがシャットダウンされちゃってる。それでもアカネの事を友達と思ってパスケースをプレゼントしようとする六花すごすぎるよ。「さすが六花さん、尊いぜ~」「JKの姿した神かよ~~」

 適当な話なんですけど、六花は性格的に陽キャだと思っていて、これが陰キャだと「もしかして私嫌われてる?あんま関わんない方が彼女のためかもしれない...」と引いてしまうと思うわ。陽キャであることは六花の特徴であると思っていて、幅広くクラスのみんなを友達と考えていて、確かにグループに属してるんだけど、友達が多い、みたいな。どころか初対面のアーカディアのやまとを心配したり、根が優しい。一方、陰キャであるアカネは幅広く交友関係を維持するのが得意ではなく、少数と繋がる。的な感じ。これはどちらが優れているとかではなく、性格であると思う。この違いがこの2人のすれ違いの根源だと思うんよな~

 

  2.EDの世界は現実の話

 

 EDの世界がCWの話だったらあまりにも六花がせつないので、自分はこっちを推していきます。現実世界なので出てくるのは現実六花と現実アカネです。複製されたのがCW内なので、現実のほうの2人をアニメ描写で書いてもよいと思ってます。というかそれしか表現のしようがない。別説とは異なり、EDでわざわざ実写の映像を使ってること、12話の最後に現実のアカネを実写として登場させたことからEDの実写が現実を表すと考えます。そもそも12話の最後の実写女が現実のアカネなのか?という疑問もあると思うけど、パスケースが要素として強過ぎると思うからそうだと思う。怪獣がないし、友達との写真があるので六花っぽいとの考えもあるが、現実のJKというリアリティを優先したと説明できると思うし。自分はそう思ってるってだけですが...

 あと、8話の「やっぱ六花は良いよ。」の「やっぱ」が現実の六花に対するものだったという説が出てくるよね。一度は裏切られたと思ったけど、CW内で六花が好きなことを思い出したアカネ...よいよなぁ~

 冬になって現実で部屋に閉じこもってしまったアカネを六花が、一緒に遊んだ渡り廊下の屋上やアカネがいない席を見ながら(?)思い出して、多分私が何とか助けられなかったのかと悩んでるんだと思ってます。六花は本当に優しいから...そして仲良くなった春のころを思い出して、いやあ、もうこれを思い出しているのがつらいな。CW内ではアカネを救えたのに、現実の六花はそんなの知る由もなく、心を痛めてそう。あああ、どう解釈してもつらくならないこれ?きついなあ。ただ唯一の救いどころは冬になってもまだアカネを待ってる六花に、現実に戻ったアカネが戻ってくる点。

 この解釈だと歌詞が面白くて、「思い出せなくっても、きっと僕らの出会いは」「どこかで何かで、繋がれていた」は4月のアカネと六花の出会いなんだけど、映像では現実六花のアカネとの出会いの回想になるので、現実での出会いだととらえています。思い出せないってところからアニメの六花の視点から見てるんじゃないかなぁ、そうだったらロマンチックだなぁと思います。

 また、サビの「君が待っててもいなくても、走るよ」は12話で現実に戻ったアカネが現実の六花に会いに行く感じかなと勝手に思っていて、それならばEDの最後に六花は冬になってもアカネを屋上で待っていて...そこにアカネが走っていくと一人で解釈して、一人で大号泣してます。そっちの方が屋上の六花が救われるとおもってるよ、私は。

 てゆうか、EDの歌詞が六花とアカネ過ぎてつらいな。「明日、明後日、その先だって、隣で」「過ぎに消えそうな一瞬はこんなにも、美しかったか、愛せていたか」やばいなあああ。つれえよ。

 

 

 5話

  • 「ぬってー背中」「肌綺麗だねー」「前は?」「へわっ!?」「うっそ~」っていちゃつくの、いいな~まんまと(首筋掻いて)動揺する六花良すぎ~~CW内でアカネがちょっと大胆になってて、現実の六花には恥ずかしくてできないからこそ、ここでやってたらなおのこと、最高~~キモ・オタクなので、このシーン見るたび、「フフフフフ、マジでいいなぁ!」ってしゃべっちゃう。

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  • 37429円て、400円足りなくない?

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 6話

特になし

 

 7話

Twitter見ててなるほど!と思ったんですけど、大学案内はないから、CWには未来がない。という考え方

 

・この7話で裕太に「私の仲間になってよ。きっと神様と一緒のほうが楽しいよ」と言ったり、8話で六花に「神様と仲良くするのは嫌?」って言ったりグリッドマン側の3人に対してはこの世界で自分と近い位置にいることを認めていると思うんだよね。それは6話で内海がアカネに話さなかったから、4話で六花がアカネが怪獣に襲われていないか心配をしていたから、記憶を失ってない自分と同じ側だと思えてきたのが理由にあると思います。9話で3人には夢の世界を楽しむことに誘ってるし。そして現実との人間と同じように接してると思う。ただし、その他の人間はおもちゃだと思ってるから、学園祭でグリッドマンとの戦いを宣戦布告してゲームを楽しんでるんだと思う。一方、グリッドマン側は自分たちと同じ人間が被害にあってると思うから、アカネの考えとは相いれないよな。

なんで8話宣戦布告なんてするんだろう?って思ってたけど、これが理由だと思う。結局アカネが壊してる世界はアカネにとってはゲームの中で、グリッドマンにとっては自分たちが生きてる世界っていう。宣戦布告して「止めてみてよ」っていうのも、勝負がしたい、作った怪獣を戦わせたいっていう純粋なオタクの気持ちな気がしています。アカネからしたら、グリッドマン側が記憶が消えないことから現実から来た人達だと予想していてもおかしくないし、それならばこの世界はゲームの世界であるから、一緒に遊べると思ってたんじゃないかと予想します。ここのすれ違いが終盤にも繋がってきていて、なんか悲しいです...

12話まで見ないと、アカネがなんでこんなにも普通に人を殺せて、それを楽しめるのかって疑問を抱いてみてると思うんだけど、アカネにとっては自分の世界で何をしようが勝手なわけで、だからこんなことができてる。ゲームの中だからできてる。本来のアカネは12話の最後に泣きながら謝っていたように、そんなことはしない性格だと思うんですよ。そこをアレクシスに操られてしまったこと、記憶が消えない3人が現れてしまったことでこのような物語になったのかなと思います。

そして3人以外のキャラクターをおもちゃとみるか、同じ人間とみるかって考え方の違いは六花とアカネと関係の鍵でもあると思うんだよね。

 

 

 8話

  • 「きっと宇宙人に利用されて、今も怪獣を作り続けている」「利用されて?」「違う?」「あぁ、わかんないけど...」

    ここで裕太から六花に、アカネが利用されているだけでは?という説が上がってくる。これを聞いてアカネをバス停で待とうと思ったのかな。六花は。

  • アカネが文化祭で怪獣を暴れさせる宣言をした時の、六花の表情が他の2人と違うのがいいね。信じられなかったのが、困惑に変わった感じが。この困惑は、上で述べたようななんでアカネがこんなことするのかって困惑でいいと思います。

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  • 「内海だって本当はそう思ってる。俺だって六花にここにいてほしいと...」「明日!」→内海に先に謝ること(自分がやらなそうなこと)で、自分の行動を自分が決めたい。って話をツイッターで見て、なるほどって思いました。確かに首筋掻いてるね。裕太にこのままセリフを言わせたら、仲直りする流れになると予想したので、自分の行動であることの確認のために、セリフを遮ったかなーと思ってる。

 

 

 六花とアカネのバスシーン!!!

  この言い方意味深でよくない?

 

 六花が問川たちの事を問い詰める時、「ずっとそういうことして黙ってたの?」の時に「触るな」のマークが出て、アカネは誤魔化すんだけど、アカネからしたらそういう自分の卑怯な部分や見せたくない面に六花はちゃんと向き合って、見つめてくれる。これは12話のシーンでも顕著だったわけだけど、このときはアカネが心を開いていなくて「触るな」という点で12話と対照的。

 アカネは「問川たちがいなくてもよくない?」と「じゃあ私がいなければいい?」と極端な2択で考えるが、六花はどちらも選ばずに解決策を探そうとする。こういうアカネの考え方は7話で裕太を仲間に誘って、断られると8話ですぐに宣戦布告をするとこにも表れている。仲間or敵しかない感じ。一方六花は、アカネが怪獣を作っていることを知っても、仲間ではないけど戦う相手には思えずに、8話で内海と対立している。

 

 「じゃあ、いてもいなくても一緒じゃん」「一緒じゃない」「じゃあ私を殺したら?そしたら全部解決じゃん」「解決じゃない」「それは解決じゃないから」「ふふ、やっぱ六花は良いよ。他の子とはちょっと違う、私の近くにいるべき人」

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 「じゃあ、いてもいなくても一緒じゃん」ってセリフにも上で述べたようなアカネと六花のCW内の他のキャラクターに対する見方のすれ違いが現れている。ただ、アカネはCWの世界で操られているからこその極端な例だと思うんだけど、一方で六花の考え方が普通かっていうとそんなことはない。現に裕太と内海にはここまではできないと思う。後で述べるけど、六花がクラスメイトを幅広く気遣ったり、親身なったりできるのは特殊。こんなアカネでも救おうと考えているのは、相手がアカネであるからってのももちろんあると思うんだけど(自分としてはそれが大きいほど嬉しい)、問川のことから見る限り六花がそうゆう性格だからだと思う。そこが六花の優れたところ、すごいところだと思う。

 上で述べたような親身になって助けるという六花の考え方が他の子とは違くて、自分にないものだからアカネは六花に惹かれたと思うんだけど、セリフにある「他の子」っていうのがCW内の六花以外のキャラクターでいいと思うんだけど、六花は私の近くにいるべき「人」って言ってて、CW内でアカネが作った「子」に対して自分と対等な「人」と認めているのがここからもわかると思います。言葉のあやかな?でも、「私の近くにいるべき」ってだいぶ上から目線(神目線)っぽいから、神の存在の位置にはまだいるという自覚がアカネにあると思う。「神様と仲良くするのは嫌?」っていいってるし。

 ここで、アカネを助け出す方針で進んでることが(同話で裕太のアカネが宇宙人に操られている説は六花の行動の要因として重要なシーンだと思います。)アカネはとても嬉しいと思う。多分あらゆる人が自分を好きになるように設定したのも、こういう風に自分を受け入れて、心配してくれるような無償の愛を欲していたと思うからです。あくまで想像だけど、アカネの両親は家を空けがちで豪邸に1人で住んでることから、両親からのそういう無償の愛を得られていないのかなーと思いました。豪邸は両親が仕事熱心である示唆の他にも、怪獣のフィギアなどをたくさん買えて趣味に没頭できるという意味もあるかもしれないけど...一方六花は母親と仲が良い。だから他人に気遣うことができるのかといえば、そうではなくてアカネも言っているように「他の子とは違う」、15歳でここまで精神的に成熟しているのはすごすぎるキャラだと思います。

「さすが六花さん、尊いぜ~」「JKの姿した神かよ~~」

しかしこの愛は誰にでも平等な、いわば博愛であり、アカネだけにではなく問川にも向けられていることがこの会話を通してアカネは理解したと思います。これがこの後の後ろから抱きついてアカネの「六花ぁ~、私だけを愛してよぉ~」な行動につながる決定的なシーンになっていると思うんだけど、他の子も設定としてアカネを好きだし、慕ってくれるんだけど、自分がしてる悪いことを叱ってくれるのはそれくらいその人の領域に踏み込まなければできないことだし、六花にしかできないことなんだと思う。これは3人以外の記憶が消えちゃうことも理由としてあるけど、六花のすごさですね。

 ED現実説でもちょっと言ったけど、「やっぱ」が気になってて、過去にも六花の考え方の良さにアカネが触れているからこういう言い方をするんだと思うんだけど、これは親しかった入学初期のことかな~と考えてます。ただ、個人的には現実世界の六花もこんな風にアカネを自分のことのように考えてくれると、現実の時のアカネも感じていて、それを思い出していたなら最高過ぎる。過ぎない?

 

「神様と仲良くするのは嫌?私が何をしても六花は私のことを嫌いになれないよ。私が六花をそう設定したんだから。ここに住む人はみんな私のことを好きになるようになってる。だから私と六花は友達なんだよ。」「私はアカネの友達として生まれたの?」「私の友達として、私の怪獣から作られたんだよ。」

 なぜこんな六花の感情を乱す、困惑させるような、「あなたは私が友達として作った。」ってことを言ったのか?ですが、「やっぱ六花は良いよ、他の子とは違う。」と思ったからこそ他の子には伝えていない本当のことを伝えて、それでもそばにいて欲しかったのかなぁ、と思います。この背景には、仲良くしてくれる友達や、ちやほやしてくれるクラスメイトがいても自分がそう設定しているという、むなしさがあると考える。このセリフを後ろから抱きしめながら言うのは、離れていってほしくないからだし(実際には下車しちゃったが)、六花は私のことを嫌いになれないよって直前に言ってるのも、嫌われたくないからこそだと思います。こんな感じでアカネの不安もわかるんだけど六花もこの告白は辛くて、自分が怪獣に作られたという事、どこかでアカネを敵と思えずに内海と対立して実際にアカネと会おうと思ってきたのに、このアカネを信じたい、宇宙人に利用されてるなら助けたい、という気持ちまでもが作られたものである可能性がある事って普通に考えて衝撃が大きすぎると思う。

 

 

 9話

 3人の夢の話ですね。アカネからするとCWという夢の中で夢を見ているのね。

  • 裕太に対しては六花の立場にアカネがいる場面から始まる。裕太とアカネが付き合う映像に対して「それが本来の形だから、私を好きになるために作られたんだから」っていうセリフは裕太が六花を好きという本来の形ではない方を認識しているからこそ出てくると思います。なので、これは誰からも好かれるというアカネの夢でもあると思いました。裕太は何か足りない、やらなくちゃいけない使命感から夢であることに気づくがアカネは「そんなのどうだっていいじゃん、楽しかったらそれでいいじゃん」と返しますね。
  • 内海は怪獣好きの女友達の夢。都合のいいことばかり過ぎる、友達がいないことから夢であると気づく。「アカネとこういう形であれば友達だったかもしれない」という。

  •  「いいじゃないか。グリッドマンが消えれば」「うん...」からの、走るアカネの映像。グリッドマンに勝てないことに焦りみたいなものが感じられるね。

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  • 「ずっと夢ならいいって思わない?」「夢だから目覚めるんだよ。みんな同じ。それは新条さんも」「私はずっと夢を見ていたいんだ」

    →12話への伏線。アカネはそれぞれ3人が自分と楽しい時間を過ごしていたはず(アカネもそうであったと思う。「楽しかったらそれでいいじゃん」「やっぱ、いいねー六花は。本当に素直で」等、楽しそうだから)なのに、3人がグリッドマンという自分が仲間外れのグループに戻っていくのはマジできついところがありそう。現実アカネは現実六花が自分から離れていって、他のグループに行ってしまったと思ってると私は考えているから、なおさらきついと思うし、だからこそのこの表情だと思うんですよね。さらに夢から目覚められる、夢に逃げない、という点で現実アカネに劣等感としてダメージがあると思うんだよな。このセリフは。そう思って「私はずっと夢を見ていたいんだ」のセリフをみるときつい...自分との関係を築いた友達がグループという形で自分のもとから去っていくのが、現実の六花が現実のアカネと疎遠になるのを想起させている...このアカネを見て痛ましくてつらいな。

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 六花とアカネの夢!!

 1. 4月に保健室で出会う夢

  • 「私マツガサキ中」の声の感じが、緊張が少しほぐれてくニュアンスが良い。で、それに続く「秘密。」って返しで一気に距離が近くなる(物理的にも)のが、互いに近づき合ってる感があっていい。

  • 他の2人の夢がCWで実際あった出来事をもとにしているので、CWでの六花とアカネの出会いもこんな感じだったのかな。ただ家が隣であることには意味ありげに、「すっごい偶然なの」と言ってるのが気になる。偶然じゃないとすると、アカネがCW内をそう設定したことになり、「やっぱ最初から六花好きじゃん!!」ってなるよな。

 2. アカネの家に遊びに行く夢

  • アカネが「アレ~クシス♪」ってピョコンって呼ぶところ。EDと同じ笑い方するアカネ。アカネの家で、借りてきた猫みたいな六花。2人、良すぎる。ああぁ、いいよね。良すぎる。
  • ここはもう実際にはなかった、夢だと思う。寂しい。でも12話のアカネの回想(フラッシュバック)のシーンで9話の保健室のシーンとこのシーン↓があるのでこれが実際にあったことなら、いいなぁ。

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 3. バスの中の夢

 

「六花も行くでしょ?」「私はいいや」「えー、なんで~?」「アカネには友達いっぱいいるじゃん」「六花だって私の友達だよー」「そんなの知ってる。でも」

 

「これ、夢だったんだね」「夢でもいいじゃん。一緒に行こうよ、このまま」「私は行けない」「そんなのダメ!前も言ったじゃん、六花は私の友達として生まれてきたって」「ごめん...」

 

  「夢でも届かないの...」

 

  • バスのシーンで雰囲気が一気に変わってて、バスの中にいる時には既に六花は夢心地ではない感じ。これは話の流れ的に3人が不審感を持つ流れだからかなと。「六花だって私の友達だよー」「そんなの知ってる。でも」「アカネだけじゃない、私の友達は」ってつながって3人と同様に友達がいないからこそ気づいたと思う。六花にはアカネと同じように大切な友達がいるから。ユートピアは心地いいけど現実に戻らなきゃってのはよくある話だからな。

  • ここからは「バスの中では、六花には友達が少なく、アカネには友達が多い感じ。六花とアカネの立場が逆?」という疑問から生まれた妄想なんだけど、「私はいいや」の時点で、まだ六花にとってもアカネにとっても理想的な夢なのかっていうとそうではない気がして、少なくとも六花は薄々おかしいことに気が付いてる。じゃあ、アカネの理想であると仮定すると、友達が多いアカネが友達の少ない(ように思われる)六花をグループに誘ってあげるこのシーンがアカネなりに考えた優しさだと思うんだよ。そうなると、実際に六花の立場にいた時に、グループに誘ってほしかったのはアカネであり、現実世界でだんだん疎遠になってグループに入っていった六花に、同じグループに誘ってほしかった、1人にしないで欲しかった現実アカネの夢であったとすると...あああああやばい。って勝手に妄想して、勝手にやばすぎるって思って、勝手に泣いています。「もし、私のことを親身に考えてくれる六花が一人ぼっちでも、私だって六花を助けてあげるから。一人ぼっちにしないから」って感じが出てて、それでも「私は行けない」って言われてしまって、本当につらい。私が勝手につらくなってるだけだけど。
  • 「私は行けない」って断られた原因が六花が私を本当に好きではないから、とかってアカネは考えてしまいそうだからさらにすれ違ってると思う。だからこそ「六花は私の友達として生まれてきた」ってセリフが出てきて、グリッドマン同盟にとられたって考えてると思うんだよな。これはやっぱりみんなを大切にする六花と根本的に考えが違うからしょうがないし、この世界で神である自分が誰よりも優先されるべきって思うのは普通だから。だから六花をとられたグリッドマンを憎んで10話以降の行動に出るだろうし。それは六花が大切にしているものを傷つけることだから、ますます六花が離れていって悪循環になるし。うー、救いがなくてつらいな。
  • 妄想はまだ続くんだけど、アカネの「六花だって私の友達だよ」の表情に陰があるし、描写的にもに影がある(下の写真)。これが六花とアカネの立場が逆転してることを明らかにしていると思っていて、このセリフは夢でなければ(立場が逆転してなければ)「アカネだって私の友達だよ」と六花が言ったことになる。これは実際に六花が言っているわけではない。じゃあどうやってこの言葉がアカネから出るかというと、「"アカネが"本来の六花の立場(友達が多く、平等な愛)になって、アカネの立場(友達が少ない)の人に対してどう言うか」であるから、「相手になりきった感じで本来の自分の立場にいる相手に話す」事になると思うんですよ(紛らわしいけど)。これって、相手が自分に言いそうなことを自分の立場にいる相手に突き付けることができて、自分の気持ちを相手に味わってもらうのに最適だと思うんですよ。だからこそアカネが発した「六花だって私の友達だよ」は、こんな表情、声色(「えー、なんで~」よりもトーンが低い)になると考えます。よって「六花だって私の友達だよ」というセリフを六花に突き付けることで「"アカネだって"って何なの!?六花は私にこんな態度とってるんだからね。こんなセリフ言われた私の気持ちを味わってよ。」ってゆう、六花の平等な愛を責めたような、意地悪な気持ちも表情に含まれてると思います。やべぇ~、そうやってみるとこの陰がある表情と、心がこもってない声やーばい。あああ、嫉妬とか好きとかいろんな気持ちがあふれちゃってないか?だいじょぶか?こんな高度なやり取りを行う、平成最後のセカイ系百合...すごくいい...

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妄想継続。そうなるとこのセリフだけじゃなくて、このシーンのセリフ全部が「アカネ(六花)が考えた、六花(アカネ)が言いそうなセリフ」でやり取りするという。そう考えさせてもらっていいなら、そう考えさせて頂けるなら、このシーンはやばくて、六花は「アカネには友達いっぱいいるじゃん」ってセリフを言いながら、アカネが「六花には友達いっぱいいるじゃん」ってセリフを言うだろうなと考えて、アカネが自分を求めて、特別になれないことに嫉妬していることを考えてるわけですよ。多分。さらに、自分の誰にでも向ける愛がアカネを夢中にさせちゃってるという、天然たらし的な側面を「私がアカネに優しくし過ぎたから依存させちゃってる?」とか悩んでいてほしいな。勝手な感想だけど。このクールな横顔でそんなこと考えていたとしたら、カッコ良さカンストしてるよ。ポーカーフェイスすごいな、俺が六花の立場だったら崩れてるけどな。六花、改めて顔が良すぎるな。

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これから先はまさに妄想だから気にしないでほしいんだけど、

てゆーか誰にも優しい女を好きになる女の片思いは辛すぎるな。結局は六花は「たらし」の才能があると思うんだけど、天然のたらしに対して、誰からも好かれるアカネの設定上のたらしでは、天然は神にも勝るという点があって、これが裕太が六花を好きになった理由だと思うんだけど。

アカネが「六花のたらしな態度はこんな感じなんだからね!こっちの気持ちも考えてよ!ぷんすか!」とも言いたげな(?) 、「六花”だって”私の友達だよ」ってちょっと意地悪なセリフを言われて、「そんなの知ってる、でも...」って物憂げな様子で返すんですけど、上の仮定のままでいけば"アカネが"「そんなの知ってる。でも...」といいそうだと六花が考えているはずなんよ。マジでこう考えていいなら、

「次回予告!!」「アカネの夢にとらわれた六花はそれぞれお互いの気持ちを汲み取って互いに逆の立場を演じるというアカネの高等テクにまんまとしてやられたっ!自分がアカネに取っている罪深い態度、アカネの気持ちを突き付けられた六花の決断は!?」「次回、激熱!!」って感じで期待度えぐいと思うんだけど、

完全にアカネペースの会話でアカネが「六花が私の友達なのは知ってる。でも...私は六花の1番になりたい!六花の愛を私は独占したいのぉ!」って思ってることを、六花がアカネの立場で言わなければいけなくなってない?あれ?やばくない?完全にアカネがチェックメイトかけてない?なんでこんな展開に持っていけるんだ新条アカネ?女との関係のプロ?

 

 

ただ流石に妄想が過ぎると思うところもあり、本流の流れでは3人が夢であることに気づいていく流れなので、「そんなの知ってる。でも...私にはアカネ以外の友達がいたはず。」って思ってグリッドマンを見つける。

 

 

  • 9話で3人に共通しているのは、友達がいない、何かが足りないことに対して疑問を抱けることで、自分が良ければクラスメイトが消えても何も感じないアカネとは違う。ただこの考え方をアカネが現実でもするかというと、そうではないと思う。現実アカネがCWのキャラクターに対する場合の考え方だと思う。だからどうしてもここの点で3人とすれ違ってしまうのは不憫であるし、アカネにそういう事情があるとは知らずにCWのキャラクターと同様に見て批判するのは酷だなと思う。そんなこんなで、六花はアカネの気持ちを理解していると思う。一方で、アカネは六花の考えが理解できてないと思う。理解できていても受け入れたくはないのかも。神である自覚がまだあるから。自分の立場は神であるから。
  • 六花はバス降りた後、一瞬迷ってるのがなあ。六花の「ごめん...」は他の友達を捨てれないからごめん。であって。そこが六花のいいところで、解決策を考えるというか。アカネはこの「ごめん...」を多分完全な拒絶と考えるんだと思うから。ただ六花はそうではなくてこの後解決策を探してアカネを救おうとする。アカネにそれを言ってあげれられたらアカネがこれ以上傷つかずに(鉄塔から飛び降りてしまうほど)すんだかもしれない...

    結局アカネは六花のそうゆうところに惚れている(惹かれている)はずなのに、同じようにそうゆうところに苦しめられちゃってるっていうな~~

     みんなに優しい女を好きになる事は、身を滅ぼすね。

 

 10話

  • アカネの夢、「なんで怪獣を作らなきゃいけないのか」という疑問。自分が作ったキャラを消すことへの罪悪感、自分が神である事が失われて行ってると思います。もしかして9話の夢の中で六花の考えが少しでもわかってくれてたら嬉しい。

  • 「新庄さんが宇宙人に利用されているなら俺たちが行かないと」「うん」   →この2シーンで悪役を新条アカネからアレクシスへ移す感じなんだけど、これが自然でいい。

  • 六花が「アカネは神様の世界から逃げてきたのかも」「弱いとかじゃなくて、アカネは繊細なんだよ。」って言ってることから、六花もアカネの考えを多分理解し始めてることが分かって、9話で2人は離別したように見えて、お互いの距離を少し縮めたといえると思いたかったが...

  •  

     アカネが裕太を刺す。どうしたらいいかわからなかった状態、自分のやるべきことを失ったこで、神様として街を管理できなくなって、どうしようもなくなって刺してしまう。OPのカッターが落ちるシーンがこう使われるとは...アカネ...神様でなくなるだけでいいんだよ...

 

 11話

  • 六花ママがポケットのスマホ探すの細かくていいな。
  • 六花とはっすとなみこの関係いいね。

  • 「なぜグリッドマンが響裕太に宿ったのか?」「彼だけが新庄アカネの世界で...」の話は最初のほうにしたけど、その理論で行くと、六花はその顔の良さ(?)で裕太にグリッドマンが宿る隙を作りだして、そのグリッドマンが倒せなくてアレクシスに操られて自暴自棄になったアカネを救い出すという。セカイ系スケールのマッチポンプじゃん、美人の天然たらしは1人で世界を動かす。         こうなると元の響裕太はただ美人に惚れただけの脇役(酷く言えば、彼じゃなくてもよかった)みたいになっちゃう。「あの子がグリッドマンなんだろうけど...」って4話のアカネが言ってることからも、裕太である必要性がアカネにとっても無かったことはうかがえる。アカネもアレクシスに利用されていた部分が大きいから、アカネでなかったら物語は成立してないと思うけど、アカネは主人公ではない。グリッドマンがアレクシスを追ってこの街にやってきたという時に、この物語に一番必要だったのは宝多六花。宝多六花が主人公であり、物語の起承転結で重要な役割を担ってる。と個人的に思ってます。
  •  現実六花が存在すると思ってる観点から言わせてもらえば、そもそもアカネが現実世界から逃避してCWの世界を作ったのさえ、現実六花の影響が大きく、だからこそこの世界で宝多六花は特別なのかなとも思います。ただ、宝多六花だからCWでも特別だったのか。特別だったのがたまたま宝多六花だったのか。当然、宝多六花だからCWでも特別だったと私は考えます。

 

めちゃくちゃ良いシーン

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 この場面の最初に出てくるバス停はいつも六花が途中下車してた場所で、アカネもここで待ってたんだと思います。既に泣ける。船の標識みたいなのは2話?でも違う形でちっちゃく映ったりしてました。これらはすれ違い禁止とか追い越し禁止とか警笛ならせみたいなのがあって、2人のこれからを示唆してる。

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「何しに来たの?」「探してたんだよアカネを」「響君のことでしょ。早く私を殺さないから、こんなことになるんだよ」「なんで...アカネはそんなことばっか」「仕方ないじゃん」

 

 

 六花はアカネを心配してるんだよ!!!アカネは六花がグリッドマン同盟で仲良くしてる裕太を刺したから、もう終わりだと思ってると考えられる。実際こんなことは許されないとは六花は考えている。けど、アカネの考えでは失望されるとかもう絶対許されないって六花が考えると思うんだけど、違うんだよ。そこですれ違ってて、そんなことをするアカネを、六花は、何とか助けたい、って思ってアカネに会いに来てるんだよ!!グリッドマンが死ぬか、私が死ぬかしかないみたいな考え方はもうやめて...

 

 

 

 

「ついてこないでよ。私のこと馬鹿な神様だと思ってるんでしょ?」「アカネ...」「あっちの人たちのところに帰ればいいじゃん!!六花には関係ないじゃん!」「関係なくないよ!なんだよその言い方!私はアカネと違って神様じゃないけど、私はアカネを友達だと思ってる」「だからそれはぁ!私が六花をそう設定しただけなんだって!友達だって思いこんでるだけなんだよお!」「私はアカネの友達。私はそれ以外に生まれてきた意味なんていらないよ」「アカネは私のことどう思ってるの?」「わたしはぁ...」

 

 

 

 両声優の演技が良すぎる。このシーンはすごくやばい。

 

 「あっちの人のところに帰ればいいじゃん!!」からグリッドマンのグループへのコンプレックスが見えてて、ここで9話で「夢でもいいじゃん。一緒に行こうよ、このまま」「私は行けない」って言ったときに、アカネからしたら六花は私よりグリッドマン側を選んだ(六花からしたらどちらも等しく大切)シーンが蘇るね。だからこそアカネは六花に選ばれなかった時点で六花との関係は0になる(極端な考え方)ので、「六花には関係ないじゃん!」が出てくる。

 

 六花は感情が高ぶると目を見開いて深く息を吸う癖があるんだけど(内海の「感情でしかかんがえられないもんな」に対しても)、今回もそれが出ていて、内海には何も言わず怒って立ち去ったのに対して、アカネにはちゃんと自分の考えを言葉として伝えていていい。普段は冷静で他人への気遣いだとかができる六花だからこそ怒って取り乱すことはあまりなくて、内海に対して怒らなかったのは何らかの自制があったからだと思う。内海といえば、11話で病院内でアンチに激怒しそうになった内海を止めたのも六花だし。そういう感情をあまり表に出さないのは、大人であるから、といえる。その六花が声を震わせて、大切な友達に自分の気持ちをぶつけられて、本当に良かった。本当に良かったよ...これができる六花はやっぱりすごいよ...

  これまでの六花とアカネのバスの中での会話は、アカネが自分の気持ちを伝えること(8話の「やっぱ六花はいいよ。」等)はあっても、六花はアカネに問い詰めたり、「私は行けない」と伝えることはあっても、六花がアカネのことをどう思ってるかを伝えてなくて、これがすれ違いの根本原因の1つに考えられる。なのですれ違いや追い越し禁止の解決策は六花が思いを口に出すことだったんだと思う。

 これは本当にすごいことで、自分は神様の友達として設定されて怪獣から作られたと言われて、アカネを友達だと思ってるこの気持ちも作り物かもしれなくて、それでも、それでも、一人ぼっちになろうとしている神様に「私はアカネの友達。私はそれ以外に生まれてきた意味なんていらないよ」って言いきれるのは、すごすぎるよ...泣いちゃうよ...さいこう...最高だよ...

「さすが六花さん、尊いぜ~」「JKの姿した神かよ~~」

  このセリフは実際に設定に関係なくて六花の心の底から出たセリフであるのがもう、完全に、明らかなんだけど、もし仮に六花が友達設定されてたとしても、アカネが必要としてる友達が、「自分のことを心配してくれて、間違ったことをした時には怒って、自分の気持ちをぶつけてくれる人」であると考えると、これはこれで泣いちゃうね...

 

 12話

 

「無理...私は行けない」「大丈夫。アカネは一人じゃないから」「みんな万能じゃないから、他人を必要とするんだ。新条さんが誰かを必要とすれば、この街だってきっと広がっていく」「この街だけじゃない、きっと新条さんの世界も」「私に!広い世界なんて無理だよ!」「だから私たちを頼ってほしい、信じてほしい。そのための関係だから」「みんな私の...友達」「ここは私が作った世界だから、この世界に私はいちゃいけないんだ。自分の意志で帰らなきゃいけないんだ」「私の場所に」

 

 

 気に入らないことをすべて怪獣でコントロールできるCWから、夢の中から、アカネは帰らなければいけない。万能である神は世界をコントロールできると考えられるが、あくまで一人の人間であったアカネがCWの神になる事は出来ずに、作った街は崩壊してしまうし、街の広さは有限だった。神様でなく、人間として生きるならば、万能ではないが、嫌なこともあるが、他人と関係を保ちつつ、現実で生きていけるはず。と思った。

 

 「この街だけじゃない、きっと新条さんの世界も」って言ってることから新条さんの世界はアカネが帰るべき現実世界を表している。それに対して「私に!広い世界なんて無理だよ!」と泣き叫ぶのが、多分、現実世界での挫折とか絶望で部屋に閉じこもったままになってることの表れだといえる。それに対して「だから私たちを頼ってほしい、信じてほしい。そのための関係だから」って六花が言ってる。ここが現実六花存在説推し派としてはCW内の六花だけでなく、現実世界の六花もこういってる気がしてならない。

 「みんな私の...友達」自分で作ったキャラクターではなくて友達と認識した。自分の世界で自分は神だと、思っていたのが間違いで、神ではない普通の人間に、現実世界に戻る決意。最後は自分が作った"キャラクター"に救われたアカネ。

 

 眼鏡を外すアカネ。メガネは怪獣を作る時かけるものだったが、10話で怪獣を作れなくて、なぜ怪獣を作ってるのか分からないときからここまでつけっぱなしだった。アレクシスの支配の象徴っぽい。

 

 

「私はここで取り返しのつかない事ばかりをした」「知ってる」「私は卑怯者、臆病で、ずるくて、弱虫で」「アカネのことなら私は知ってるから」

 

 

足りなかった愛情に満たされてるアカネ。六花がまるで母親のように見える。

 

 

    「私はアカネと一緒にいたい。どうかこの願いがずっと叶いませんように」

 

 

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こんな美しい別れのセリフがあるのか...ああああ、つらい。はあああああ。

ああ、つらい。かなしい。もうこころがきついよ。つらいよ。つらい、

助けて、待って、きつい、

泣いちゃうよ、つらいよ、、泣いちゃう...

メンタルがきついです。このシーン、ほんとに、

 

 

 

 

最後のシーンでアカネが覚醒して。現実の六花に走って、会いに行ってほしいけど、でもこれはこれでCWの六花がつらいよ。どうしたらいいの、たすけて...かなしいよ...

 

EDをどうやって見てもつらいよ...泣いちゃうよ...

 

俺はこれからこのEDを見るたびにこんなにつらい心になっちゃうのか...つらい...

 

 

 

 

 

 

最後に

ほとんど妄想の話を最後まで読んでくださった方が、もしもいたら、ありがとうございました。

ロボットや怪獣にはあまり興味がなくて、ハマるとは思ってもいませんでした...

優しさがあふれるいいアニメだったと思います。ただ、最後がつらくてつらくて、心がきびしいです...