よりもい2話の感想と考察と妄想

 

 

アニメ「宇宙よりも遠い場所」の2話に関するオタクの個人的な妄想、妄言です。

 

 

・2話冒頭の報瀬が南極について説明するときはかなり綺麗感があると思う。日常パー  トではない。音楽もそうだし、クリームソーダの光の輝き具合、報瀬とキマリの横顔のアップ、さらに二人の表情に寄って行く映像、などから壮大な計画が始まったことの明るさとか希望に満ちてる感じとかが伝わると思います。やっぱり1話ではキマリが何かを始められなくてモヤっとしていた所がメインだったのでそことの比較、始まった感を1話終わりと2話冒頭でこうゆう風に出していると思います。

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・「ほら!報瀬ちゃん、観測隊員の娘だし!」と希望的な楽観をして、シャーペンの芯を長く出すキマリに対して、「コンサートの関係者席じゃないんだから」と冷静に芯を戻すめぐっちゃん。ここでのめぐっちゃんの役割は大切で、2話冒頭であれだけ良い感じで描かれていた報瀬の計画は実は難しそうっていうツッコミは必要ですよね。

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報瀬のいい表情

 めぐっちゃんからのラインを見て、一瞬で顔が変わる報瀬。この3枚の表情はそれぞれ、「気付き」「友達の友達へ対する敵対心」「離れていくのではという心配」だと感じられます。

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 「前にも何人かそうゆう事言ってくれた人がいた。みんなすぐにいなくなるの。やっぱり無理だとか。友達に止められたとか。怖くなったとか。」

 1話のセリフの「怖くなった」はキマリが1話で乗り越えたわけだけど、「友達に止められた」の可能性はまだ残っていて、それを報瀬は心配してるんじゃないかなと、そういう心配の表情だと思った。また自分から離れていくのかと。

 

信号の演出

 信号の演出が面白いなーと思いました。青点滅してた信号が赤になる時に報瀬が渡って、ここでキマリが自分の気持ちを伝えていなかったら、そのままであれば次に青になるのは反対の信号で、キマリと報瀬は会えないで終わってしまう。でも実際は、報瀬が視界から消えた後も自分の気持ちを叫ぶことで、次に青になった信号は報瀬の方の信号であって、和解したという描写。

 これは12話で詳しく書きますが、報瀬の「思い込みの強さ」をキマリの「諦めなさ」がカバーしている描写だと解釈できるんですよ。個人的に勝手に解釈しているだけですが、1話でのキマリの足りない部分を報瀬の「思い込みの強さ」が補っていた流れからの、2話でその逆の補いを、信号での別れという考えられた演出を用いながら見せることで相互的な関係であることを示すの、鮮やかすぎませんか?すごく好きなシーンですね。

 

バイトを始めたキマリ

 キマリがバイトを始めるという話の流れは、主に日向との出会いのためだと考えられるけど、それだけではなくて、報瀬がバイトをすることで南極に近づいて行ったように、南極へ行くための努力としての意味もあると思う。

 

 さらに言えば、1話では神社のシーンで門限という日常に嫌悪感を持っているキマリが描かれていたのに対して、バイトを始めた2話ではバイト終わり(3話の時と同じであれば10時頃だと推察できる)だと考えられるキマリと日向が夜遅くに報瀬と神社に集って、「人生で一番途方もなくて、とんでもない大きな計画を立てている」という特別感やワクワク感が描写されている気がしています。これもバイトを始めたことを巧みに利用しているかな、と考えています。まぁ、バイト終わりでない可能性も大いにありますが...

 

神社のシーン

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 日向の「中にはいるんだよ、高校いってない16歳だって」に対して自分だったら、「何か普通じゃない事情があるんだろうな」と思って気を使ってしまうと思うんだけど、この2人は気を使うどころか、尊敬と言うか憧れの表情だと思います。それは平凡が嫌いなキマリにとって、多くの人が向かう「学校」は居心地は良いけど、キマリが学校に対して自分が抜け出すべきところ、変えたい日常だと捉えているから。

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 一方、報瀬にとっては「それが普通だと思う。だって高校生なんだし。学校行ってるんだし。友達もいるんだし」と言ってるように、南極に行くという自分の考えに、学校の拘束は邪魔なものであると考えてると言えると思う。学校では変人扱いされてるわけだし、いいイメージは持っていないと思う。報瀬の嫌いなものに「集団行動」とあるので、学校が嫌だと考えられると思います。

 だから今の2人にとっては、普通の人が見たら珍しい人or何か事情がある人である、日向が憧れの存在に見えているんだと思います。だからこそ、報瀬はいつものような敵認定をすぐに解除して、馴染めた。どこかで仲間であると、自分と似ていると思ったことは確かだと思うんだよね。

 

 

 で、まだこの表情の話し続けるんだけど、この2人の表情を日向が見てたらはっきりと、この2人が他の人とは違うことが分かると思うんだよ。しかしここでは、日向は不自然に賽銭箱にお金を入れて参拝してる。これはやっぱり、高校に行ってないことを気にしていて、勉強面は勉強をちゃんとやっていて高卒認定もとってるから全然気にしていないけど、周りからの目を気にしていると思う。だからこそ、二人に正面を向けられないんだと思う。しかし、これは杞憂で実際には2人は変な目で見ることはなかった。

 

 

 賽銭箱の階段を上るカットは、は日向がご機嫌で「これは運命だって思ったね~私は!」って言うように、気持ちの高ぶりの表現できていて、凝っているな~と思った。

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 日向の立ち位置に関してさらに言うと、2人にとって日向は、学校から自由である点で尊敬や憧れの存在であったから、階段の登った場所、キマリと報瀬が見上げる位置に意図的に立たせたのではないかな、と考えています。

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 そう考えると、日向が階段を下りてキマリたちと同じ高さの立ち位置になるのをキマリと報瀬の目線の変化によって印象的に描いた後に、日向の「一個くらい何かしときたいなって」っていうセリフに対して、キマリが共感、親近感を覚えるという流れも、立ち位置の高さと印象の表現だと考えると筋は通っていると思います。

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キマリと日向の別れ際のシーン

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 ここのキマリと日向のシーンって日向がなんで二人が気になってたかを示すためのシーンだと思っている。別パターンとして、ちょっとした会話の後に日向に思いを語らせた後に新宿のシーン、でもいいと思うし、普通そう考えると思うんだよ。しかし、よりもいではめぐっちゃんのラインからキマリの作戦への不安を表して、日向のバイトしてるからお金はある裏付けを挟んで、キマリに冗談を返す日向の明るさを描いてから、日向の心境、それを聞いて「まぁ、やるだけやってみるよ」と返信するキマリ、ってゆう風にキャラクターの特徴づけとか、2話後半への伏線とか、5話への伏線とか、テーマである、友達となら乗り越えられる、ってことを入れてるのがやっぱり鮮やかだと思いますね。よりもい。

 

新宿のシーン

 日向と報瀬がバッグを持っているのに対して、キマリは手ぶら?な部分も、キマリの子供っぽさが出ているかなーと思ってます。

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 こうゆう夜の明るい場所だと光が当たる方向が分かって顕著だけど、焦点を当ててるキャラの顔に影って付けてなくて、表情が分かるようにしている。だから表情に影がある時って何らかの意図を持って、影をつけてると考えられます。 報瀬がかなえと弓子に見つかるシーンなんだけど、この二人に影があるのは報瀬から見た恐怖感、逃げなきゃっていう気持ちが出てるんだと思うんです。だから、弓子の表情の描かれ方が見下ろす、高圧的なイメージであると思うし、実際から離れた誇張表現みたいなものだと思いました。

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 あとこれは、何を考えてこうしたのか分からないんですけど、数コマだけ報瀬のへそチラが描かれています。

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 報瀬が脱げた靴を取りに戻ろうとしたところを、合流したキマリが拾うカット、今は何も気にせず、振り返らずに、進もう!っていう気持ちが感じれてとても良い。普通なら走らせるだけでも青春感があふれるシーンで十分だと思うんだけど、報瀬がパンプスを履いている、報瀬の残念なところが出そう、と考えたんだと思うんですよ、それをさっきまでいなかったキマリが合流して拾うことで、さらにキャラクターの味や、彼女らの気持ち、テーマを出してくるんだと思うんですよ。やばい。

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 新宿を走るシーンは青春の縮図?

 あまりにもキラキラしていて眩しいシーンですよね。なんかこっちまで心がドキドキするというかソワソワするというか。走る事の青春性は広く共有されている表現だと思うんですけど、その他の要素も存在してると思います。

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 夜の新宿という非日常であることだったり。知らない道で行き止まりかも分からないけど、未知のことに何も恐れずに進んでいくことだったり。合流場所もろくに決めず分かれたように、後先考えずに夢中で何かをすることだったり。一見大変に思える階段を、元気出して駆け上がっていったり。友達と離れてけどまた仲直り(合流)することだったり。少し背伸びして大人に(お酒に)近づいてみたり。もう前に歩けない(靴が脱げたから)、進めない、と思ったところを、友達に助けられたり。多分そうゆうのが青春で、そうゆう要素がこの新宿全力疾走には、隠されている、詰め込まれている、と勝手に思って、勝手に感動してるんですよね。自分は。

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 だからこそ、この新宿全力疾走はこれからの彼女らの青春の物語の縮図と捉えられると思っていて、それに最後まで付き合ってくれる、一緒にいてくれる大人というのがまたすっごく良くできているな、と感じるわけです。普通、大人になって高校生の追いかけっこに付き合ってくれないと思うんですよ。しかし、彼女らがこれから出会って、ともに過ごす南極観測隊員の人たちなら、一緒に走ってくれるって思える。自然なことだ、という風に13話までみた自分は思えるわけですよ。これは南極観測隊員の人たちがどこか子供のような熱量というか、それこそ青春の真っただ中にいるような真剣さだからだと思うんですよ。だから「ほんとに、大人が、かっこいいなぁぁぁ!!」って思うのが7話での自分の感想です。そして、初見の時は7話を見た後に、「この人たちなら、絶対、キマリたちと夜の新宿を走ってくれる」と、この2話に対して勝手に納得感を感じていました。

 

 また、先に述べた表情に落ちる影の話で行くと、新宿全力疾走のシーンで小路地に入り込むシーンがあって、ここって、これまで明るく照らされていた二人の表情が色的に暗くなるので、やっぱり旅で進んでるの途中のうまく行かない時期や迷ってる時を連想させると思うんですよ。これはサビで暗い路地から抜け出して一気に画面が明るくなることからも妥当なイメージだと思う。そしてさっきの青春の要素が走ってる途中に表されているという話だけど、そうゆうところにある障害物を突破したり、互いにぶつかって(ここでは物理的に)傷つけあったりしてるのも青春を表現してると、思うんですよ。

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大人と子供

 このシーン、オレンジジュースとコーヒーってのが、3人がまだ大人じゃないって言ってて分かりやすいですね。あと、キマリだけ飲み干してるし。

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 3年前の回想、弓子「まぁ、気持ちは分かるけどね」かなえ「あれから3年」

  報瀬への南極への思いが本気であることは確かだが、それと同時に観測隊員の南極への思いが少し明らかになって、貴子を失ったのは報瀬だけではないことを示す最初のシーン。報瀬の頼みは断るしかないけど、大人組も気持ちとしては報瀬と同じはず。ここで3人が帰った後にーヒーに追加で水をもらっていて、さっき述べたようにここでの飲み物は大人と子供の違いを強調していていることから、子供から見ると大人であるかなえと弓子も、3人が帰った後に飲んでいるのはただの水ってところが面白い。彼女らも過去は過去だと、割り切って生きてるような大人ではない、ことがここからも読み取れると思いました。

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3話へ続く 

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