よりもい1話の感想と考察と妄想

 

 

アニメ「宇宙よりも遠い場所」の1~13話に関するオタクの個人的な妄想、妄言です。下書きがめちゃくちゃ長くて、削ったんですが、かなり長いです。

 

  自分がみたアニメの中で一番好きなアニメです。13話でこんなにインパクトがある、心を掴まれるアニメがあるのかと衝撃でした。良さを上げたら星の数ほどある、「よりもい」ですが、その中でも分かりやすい凄さとしては「笑いながら、泣けるアニメ」であることだと思ってます。「笑って、泣けるアニメ」なら数多くあると思いますが、「よりもい」は明るい気持ちで泣いてしまうと思うんです。そこが最高なんですよね。

 

 

  最初に自分の解釈の軸となる、「諦めなさ」と「思い込みの強さ」に関する別記事を読んでもらえると分かりやすいと思います。↓

 

taji488.hatenablog.com

 

 

鳥のモチーフ

 冒頭4羽の鳥は4人を示していて、それぞれが飛び立つことを示唆しています。鳥は自由への羽ばたき、旅立ちなどのイメージとして用いられることが多いですが、よりもいではそれらに加えて「そらよりも遠い場所」へ向かう物語であるので、鳥はモチーフとしてうってつけだと思います。

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 OPにおいて「ここからずっと遠い場所目指し、Let’s go!」で鳥が飛び立ってることからも鳥が4人の表現であることは言えますよね。

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 そして、1話のラストでは4羽のうち、2話が飛び立つ。

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日本編のテーマ 

「淀んだ水が溜まっている。それが一気に流れていくのが好きだった。決壊し、解放され、走り出す。淀みの中で蓄えた力が爆発して、すべてが動き出す」 

 これが日本編でのテーマだと言えます。そのあとにキマリが起こされる描写があるので、今の時点ではこのテーマは夢の段階でしかないと考えられます。また、淀んだ水の話だけであれば笹船を浮かばせる必要はないですが、その力によって進められる砕氷艦しらせのイメージであると捉えると笹船を描くことは必要だと思います。

 

自由の象徴としての飛行機

 このシーンでもう一つ注目すべきは、飛行機です。この場面のみだと「飛行機=日常からの解放、自由」という意味を持った描写だという断言は難しいと思います。

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 しかし、1話EDでは現実で飛行機が飛んでいる描写があり、「旅に出た自由さ」が表現されているわけなんですよね。

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キマリママが窓を開けるシーン

 カメラが窓を映してなくて、外の音が部屋に入ってくることで窓が開いたことを示すのがお洒落で好きです。そしてママが退けた後も、そのまま背景にピントが合う。そこから、不自然な長い同じシーンが続いて、キマリが勢いよく起き上がって登場。映像の撮り方に楽しさを感じます。

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自室の暗さ

 外の明るさと、部屋の中の暗さが対比されると思いました。よりもいでは「自室」を一歩踏み出す前の状態として表現することが多いが、キマリの場合も同じ。

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 「自室」は「旅」と真反対にあるイメージで、かつ日常であるといえます。だから、非日常へと一歩踏み出せた1話の最後には、汚い部屋が綺麗に片付けられるという演出があるわけですよね。さらには、ごちゃついていた部屋を片付ける=期待や不安などの複数の気持ちで悩んでいたキマリが気持ちの整理がついて、旅に出ることを決める、問ういう心理描写も含まれていると思います。

 

 キマリの幼さ

 高校に入ったらしたいことが何一つ実現できていないことに、号泣するキマリ。キマリママが困惑したように、視聴者側も困惑すると思います。子供っぽいというか、感情が外に出やすいというか、高校2年生にしては精神的な幼さが表れていると感じる。さらに言えば、主人公、変なやつだなと感じる。キマリの性格の伝え方が上手いと思います。

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 ちっちゃい電気つけたまま寝るキマリ。冒頭から、キマリの子供っぽさがしっかりと描かれていると思います。

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3つの目標について

 

 「高校に入ったらしたいこと…日記をつける。一度だけ学校をサボる。あてのない旅に出る。青春、する」

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 1つ目の「日記をつける」は、この後「何となくは良くない」「時間は限られている」ってセリフから、一日一日を大切にしようって考えで建てた目標ですよね。でも、高校入学の時に買ったであろうこの手帳の3ページ目以降が真っ白だし、恐らくキマリが日記を書いてない事は予想できます。しかし、この後のアニメ13話を通しても、キマリが日記をつける描写どころか、日記の話すら出てこない。じゃあキマリの「日記をつける」は何の意味もなく、終わっているのかというとそんなわけがないんですよね。事実、キマリは1話の後、日記をつけるようになったんですよ。そして、それが分かるのは、Blu-rayやDVDを買った視聴者だけなんですよね。

 こういう所も、よりもい好き~ってなっちゃう部分ですよね。よくある円盤の特典冊子で、内容もあらすじのまとめなんですが、それをこういう風にアニメの中で伏線を張っていく。いや~すごく良い。分かると、とても嬉しいです。

 

 2つ目の「一度だけ学校をサボる」について。「一度だけって言っているあたりが、キマリの気の小ささが表れているな~」って思いました。この後の展開で「あてのない旅に出る」ために学校をサボろうとするわけですが、「あてのない旅に出る」や「青春、する」を叶える為には、「一度だけ学校をサボる」必要はないですよね。キマリにとって「学校」が「あてのない旅に出る」「青春、する」の対極に存在するイメージであるから、その学校をサボることで何かを始めるキッカケになると思ってこの目標を立てたと予想できると思います。そう考えると、OPの歌詞である「教室でノート広げて、真っ白なページ見つめて、鉛筆で殴り書き、(変えたいな私を...)」でも、その時の映像においても、教室(学校)は変われない自分がいる場所のように描かれている事が分かると思います。まあ、こんな風に書かなくても学校の拘束感って、感覚的に分かりますよね。

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 3つ目の「あてのない旅に出る」について。この後の「とりあえず実行しようかと思って」というセリフから「青春、する」という目標に対するおおざっぱなスタートとして「(とりあえず)あてのない旅に出る」があると思う。手帳に書いた時のキマリにとっては、ぼんやりとここじゃない場所に行きたいという気持ちだったと思います。「あてのない」って部分は、キマリが「自由」に憧れていた気持ちが表れている言葉だと考えています。

 この物語を通して、「旅に出る」の部分は実現される。それが「あてのない旅」であったのかは解釈次第かと思います。普通に考えれば南極という目的地があるから、この言葉は当てはまらないと思います。けれど、12話において報瀬の「キマリは南極好き?」という質問の際に「みんなと一緒だったら、北極でも同じだったかも」って言っていることから、南極に行くことが目的ではなくて、みんなと一緒に旅したことが大切だったと言えるので「あてのない旅に出る」は達成されたとも言える。

 

 

 4つ目の「青春、する」は別ページに書かれていることからも、一番大きな目標であったと考えられます。何をしたら青春なのかは分からなけど、何もしないで過ぎていく日々が嫌だからこういう目標を立てたわけです。そして、12話で報瀬に「私、青春できた!」と言っているので叶えられています。

 「あてのない」もそうなんですが、目標としてはかなり抽象的です。それはなぜかというと、キマリの場合は旅をすること自体が目的であり、目的のために旅をしていないからです。そしてそこが報瀬との違いであり、その後、4話においてキマリに「旅の目的」が共有されるという風に物語が展開されていくわけですね。

 

 

キマリとめぐっちゃんの関係

 「わかるよ。キマリの考えそうなことくらい」「協力はしてあげるからさ」「じゃあなんでだ?」などのセリフは、初見で見た時には違和感に気づかないくらい絶妙に2人の関係を描いていると思う。そしてこのシーンで、キマリが靴ひもを結びながら話すことで、物理的にも心理的にも上下の差があるように描かれていると感じました。

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 この場面以外でも、1話ではキマリがしゃがんで喋る事が多いように感じました。それはめぐっちゃんに対してもそうだし、報瀬に対してもそうだと思います。それぞれの状況で、キマリは報瀬の事を大人びていると感じていたり、めぐっちゃんに自分の意見に同意して欲しかったり、と他人との関係の中でキマリの子供っぽさが出ているな、という印象が強まっていると思います。

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キマリのキャラクター性

 「友達から体操着借りてて...」「またぁ?」のセリフからも、キマリが周りに助けられている、誰かによく頼っているキャラクター性が積み上げられている。

 他にも1話においては、キマリが子供っぽくて平凡であるというキャラ付けがしっかりされているイメージがある。「中学の時もキマリ何もしなかったじゃん」、先生に怒られる、「ま、いんじゃないの」に対して「えぇーー!!」と叫ぶなど

 

学校=拘束というイメージ

 キマリの家の前ですれ違った自転車の生徒が報瀬なのでは?という話があったけど、これは学校と真逆の方向に行くことの表現な感じがします。改札で他の生徒とすれ違ったり、「学校と反対方向の電車に乗り」と語っているのと同じように、学校とあてのない旅の対照性を表現していると思います。

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 さらに言えば「トイレで着替え」をわざわざモノローグで強調したのも、学校の制服から私服に着替えたという対照性だと思います。キマリからの電話に対して、めぐっちゃんがわざわざ制服に着替えながら受け答えしているのも、そういう部分を比較して描く意図があると思います。

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 一方で、キマリがわざわざ着替えながら電話したのは上の理由に加えて、制服を脱ぐことが不安に直結しているから、という見方もできると考えます。めぐっちゃんの「電話かけてくるな」に「だってー」と誤魔化しているが、不安だから電話しているんだと思います。

 

 「いつもの学校から私一人だけが飛び出して」っていうモノローグ部分はかなり良くて、それは「いつもの」日常からの脱却でもあると同時に、「私一人だけが」他の人と違うことをしているっていう不安でもあると思う。キマリにとっては他の生徒との違いが嬉しさでもあり不安でもあるわけですよね。

 

 休む連絡入れたのに、学校に来たことをどう言い訳したんだろうという疑問があります。じゃあなぜ休みの連絡したのに学校に来てしまったかというと、キマリの中で不安が勝ったときに、それを癒してくれるのはいつも通りの日々であり、めぐっちゃんであり、みんなと同じでいられる学校であるはずだから。だからキマリは学校に戻らなくてはいけない、と個人的に考えています。

 

 

日常へ逆戻り

 ここで教室に戻ってきたキマリとめぐっちゃんが話すシーンが、1話OP後のシーンと全く一緒なんですよね。雨の日だから、少し薄暗い画面処理がされているけれど。省エネと言えば省エネなんですけど、非日常へ一歩踏み出したはずが、昨日と同じような今日に戻ってきてしまっているという事だと勝手に解釈しています。

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雨と靴と傘のモチーフ

 これについては別の記事に書きました。

 taji488.hatenablog.com

 

怖くなったキマリとめぐっちゃん

 「ほら、私いつもそうじゃん。部活入る時も、習い事する時も、受験でいい学校チャレンジしようって時も、全部直前まで来ると怖くなって」「やったことないこと始めて、うまく行かなかったらどうしようって。失敗したら嫌だなって。後悔するだろうなって。ぎりぎりになるといつも」

 めぐっちゃんが足を組んでいるのは偉そうな態度だと受け取れる。直前のシーンで、行かなかった理由をはぐらかすキマリと話しているときに頬杖をついているのも同様。キマリがいつもと同じように諦めたから、キマリを下に見る意識が強まっているからだと思います。

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 しかし、キマリが行かなかった理由が怖かったからという話を聞いて組んだ足を戻す。そして、「ま、それは悪いことじゃないとは思うけどな」と言うめぐっちゃん。組んだ足を戻したことから、キマリを対等に感じたであろうことが予想できます。つまり自分も何かを始めるのが怖くて、失敗するのを恐れている。そうなると「ま、それは悪いことじゃないとは思うけどな」というセリフは、キマリと同じような気持ちを持っている自分に対する自己肯定の言葉であると分かります。

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 しかしキマリは「でも私は嫌い。私のそうゆうところ、大嫌い」と言って、めぐっちゃんとしてはキマリに突き放された感があると思います。キマリが現状から抜け出したいのに対して、めぐっちゃんはこのままでいいと思っているという違いがあります。
 


 「でも私は嫌い。私のそうゆうところ、大嫌い」ってセリフと同時に映される「門限までには帰る」というライン。いつも通りの時間に帰宅するっていう、普段通りの日常から何も変われないないことを表している。

 このようなキマリの日常を変えるきっかけになるのが、100万円という非日常なアイテムなわけですよね。

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濡れたスニーカー、 乾いたスニーカー

 コンビニ前でキマリの乾いているスニーカーは、雨に濡れているスニーカーとの比較であることは画的にも確かだと思います。濡れた靴は一歩踏み出す不安として描かれていたものなので、現在のキマリの靴は乾いていて、みんなと同じ普通の生徒の側にいることが分かる。その立場から、報瀬が靴が濡れている側であるだろうと、考えていると感じました。だから、「あんなにみんなに言われて、馬鹿にされても、行くって本気で頑張れる」ことができる報瀬を尊敬している。だからその報瀬が友達も作らず、変人って呼ばれていることを知って、自分はそうは思えず、応援したいという気持ちだと思います。

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あと、この場面では、光と影の演出が印象的だと思いました。

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報瀬とキマリの公園でのやり取り

 

膝抱えて体育座りをしてキマリを体の正面に置こうとしている報瀬は、キマリをまだ敵認定してると感じられます。気を許せる相手にはこんな座り方はしないと思います。このような仕草が自然に出ちゃうほど、報瀬が周囲の人を敵として考えている事が分かると思います。

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 敵認定しているのは、教室のベランダの時点からで、本を持っているキマリに対してぶっきらぼうに手を差し出すんですよね。他人に対して報瀬が敵意を持っていて、この時点ではキマリも敵認定されていると感じられます。

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 このように最初は体育座りしてるんだけど、その後、キマリの話を聞いていくうちに、普通に座り直します。この仕草でキマリへの警戒心が緩んでいく事が分かると思います。

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 このように報瀬の気持ちが変化していくと思うんですが、それぞれの気持ちを報瀬の表情で上手く描き分けているのが、個人的な評価が高いです。セリフを多くせずにいかに画面で伝えるか、というのがアニメの見せどころの1つであると思うので、感情を表情で描き分けるというのはその意味で大切な事なんですが、これはどのキャラクターでもできることではないと思います。感情が表情に出やすい性格でなければ、不自然になるので、その点で報瀬のキャラクター性があってこその、表現であるとも思います。

 

 

「じゃあ、一緒に行く?」

 このシーンは1話の心臓のようなシーンだと思います。これまでは、キマリの日常の範囲を超えない出来事が物語として描かれていると思います。100万円は非日常的ですが、報瀬との出会いも、報瀬を応援することも自然な流れで、劇的な要素はないんですよ。しかし、報瀬の「じゃあ、一緒に行く?」の一言で、たったこの一言で、日常というドロドロした沼に肩まで浸かっていたキマリを、一気に大空に引っ張り上げてしまう。日常から非日常への転換がとても上手に描かれていると思います。

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 個人的な感覚ですが、上のような転換によってインパクトを与える際には、南極という非日常に対して、いかに非日常性を感じさせるかが重要なのではないかと考えています。なので、1話後半において、めぐっちゃんが「行けないよ。南極だよ?」と言っていたり、南極を本の中の世界として描いているシーンには、南極に現実味を帯びさせないようにする役割があり、そのおかげでこのシーンが引き立っているのではないかと考えたりしています。

 

 そして、ここのキマリの表情の画が最高過ぎると思います。ハルカトオクのタイミングも良いし、ピントがズレる演出もすごく良いですよね~

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 それら加えて注目してもらいたいのが、カメラアングルです。アニメだけでなく実写でもそうなのですが、2人が向き合う状態の会話を横から撮影するときには、基本的に「カメラの位置は逆サイドには回り込まない」というお約束のようなものがあります。理由は複数ありますが、アニメにおいては、位置関係が分かりやすいからであると思います。そうなると必然的に、顔のアップをした際にどちらかのキャラクターは画面の左側寄りに映ることが多く、もう一方のキャラクターは画面の右寄りにいることが多くなります。

 このシーンで説明すると、カメラは常に駐輪場側にあり、モブ達が画面左寄りに映っていて、報瀬は画面右寄りに映されている事が分かります。

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 その後、報瀬がモブ達の方に行き、キマリが元々報瀬のいた位置に来ると、報瀬が画面左寄りに映っていて、キマリは画面右寄りに映るようになります。

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 さて、公園のシーンに戻ると、このシーンは1話における重要なシーンであるので、顔が中央に寄ることが多いですが、それでも上のような原則にのっとったカメラワークだと分かります。このシーンではキマリが左に寄っていて、報瀬が右に寄っているような、カメラの位置ですね。

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 しかし、この画だけ完全にキマリが右側にいるんですよ。これによって、報瀬のセリフとキマリの表情が強烈な印象を持つように工夫されています。それに加えて、「日常から非日常」というこの場面のテーマそのものを体現しているようなカメラ演出であり、個人的に、このシーンはかなり大好きなシーンになっています。

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 実はこのシーンの前にも若干逆に寄っている画があって。報瀬の「そっちの方がずっといい」っていう際に、報瀬の横顔がキマリから見えていると思います。この報瀬の横顔も少し左に寄っています。それで「何か手伝えることない?あったら言って!」ってキマリが言う。報瀬が1人であることをキマリは感じたから、味方になろうと思ったと感じられます。そしてこのシーンも回想として、キマリが踏み出すことを決めた要因になっているように、重要なシーンです。

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 さらに、その後の「怖くなったとか」の画も同様に、報瀬が左に寄っていて、強い印象になっていると思います。キマリにとっても強く印象に残っているわけで、だから回想として思い出す画であると言えます。

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この日って何曜日?

 1話の時系列の整理をしておくと、キマリママに「もう昼ですよー」と起こされていることから、この日は土曜か日曜日です。最近は土曜でも授業がある高校はあるが、キマリの時間割をみると土日は休みだと思います。そして次の月曜日に、意気揚々とめぐっちゃんに計画を話す。実行しようとしたのが火曜日で、その夜に100万円を拾う。それが報瀬のものだと分かって、報瀬から最初に話を聞くのが水曜日。水曜日の帰り道でめぐっちゃんとコンビニ前で話す。次のシーンは木曜日の放課後で、めぐっちゃんの誘いを断って、図書館に行き、「一緒に行く?」の場面に繋がる。4日間の出来事は繋がりがあるので、恐らく間に空白の1日が入っていたりはしないと思います。唯一、水曜日から木曜日の連続性は薄いですが、コンビニ前でのキマリの靴のカットが報瀬に近づこうと思う気持ちになっているわけなので、恐らく最短で行動していると思います。

 「じゃあ、一緒に行く?」以降のキマリと報瀬の会話はキマリの回想という形になる。この公園のシーンの途中からの部分と、キマリが自室で不安と葛藤するシーンを同時に描いているのが面白いアイディアだと思いました。この2つのシーンはこのような時系列の話から、木曜日の夕方の公園と、金曜日の夜の家であると考えられます。

 

 ここの場面転換の話なんですけど、話の内容は同じ(公園にいる)ままで、キマリのいる場所だけが変わるわけで、この急な変化に視聴者がついていけるのはキマリの部屋の電気が点くカットが存在しているからなんですよ。

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このカットを入れることで、キマリの自室に移動した事が簡潔に明確に伝えられる。実は全く同じ構図のキマリの家の画を1話の最初に入れてあるんですよね。こういう部分がすごく丁寧だと思いますし、好感が持てますよね。

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 シーンチェンジの話を付け加えると、公園で報瀬がチラシを差し出した時に、キマリのおでこが入らないくらいアップに寄って、キマリの視線の動きに注目させておいて、視線を落としたら、チラシごと家にいる現在に戻ってくる、っていうのも面白いぁと感じました。

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しらせの下見は、一石二鳥

 報瀬がバックを肩にかける仕草によって、キマリは今回も失敗してしまうと思って、「違うよ、そんな風に」と慌てて引き留めようとするキマリ。そして報瀬に突き付けられる課題が、旅に出ること。このアイディアは強いと思います。これによって、旅に出れなかった失敗、報瀬に誤解されてしまった失敗の2つを同時に解決するという。

 こういう場合、強いアイディアを押し付けたキャラクターに後々、軋みが生じてしまいがちなのですが、砕氷艦しらせの下見という旅の目的、これまで同じような人がいてすぐいなくなったという不信感がそれぞれ適当な理由としてあるので、報瀬というキャラクターに無理がかかっていないと思います。キマリを試していることに関しては、12話で「友達ができました。ずっと1人でいいって思っていた私に、友達ができました」とあるように、報瀬の変化を表現するための、伏線としての役割もあると思います。

 

報瀬の横顔

 これまで2回出てきている報瀬の横顔っていうのはキマリとの距離があるように描かれていると思います。「みんなそう言う」や「そっちの方がずっといい」というセリフからもそういう雰囲気がある。

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横顔が見えるっていう事は、報瀬が見ている方向は自分では無いってこと。そして1話の最後に出てくる報瀬の横顔は、砕氷艦しらせを見ていたことが分かる。恐らく学校のベランダや放課後の公園のシーンでも報瀬の横顔が向く先は南極だったと想像できます。そして、これまで横を向いていた報瀬が、1話の最後でやっとキマリの方を向く。この最後のシーンで横顔を映しているのには、意味があると思います。というか思いたいという個人的な希望ですね。

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報瀬への感想

「前にも何人かそうゆう事言ってくれた人がいた。みんなすぐにいなくなるの。やっぱり無理だとか。友達に止められたとか。怖くなったとか」

 このセリフ、あんな笑顔で誘ってても半分諦めてるのが分かる。だけど、キマリが決心できたのはこの笑顔があってのことだし、希望もあると思うんだよ。いやー、一緒の目標を持ってくれる友達が欲しくないわけじゃないんだよ。報瀬は。それだったらわざわざ誘わないわけだし、ただ、あまりにも大きな夢に、あまりにも真剣に報瀬が向き合っているから、その熱量を誰にも受け止められないと思う。このひたむきさとか、負けず嫌いさはなぁ、長所なんだけどなぁ。

 

「それが普通だと思う。だって高校生なんだし。学校行ってるんだし。友達もいるんだし」

 だからこそ、「違うよ、私はそんな簡単な気持ちで言ったわけじゃなくて」を遮って紙を渡した。試してる顔で。これも正面のアングルで報瀬の感情が顔に出ているのが強く分かるよな~

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 ただ報瀬もこれは無茶ぶりだと思う。応援してくれる=一緒に行ってくれるではないわけだし。報瀬もそれは重々承知で中途半端な友達とか理解者はいらない、的な考えが存在しているのかなと思う。どうしても自分の使命のために他人から否定されがち、良く思われない経験をしてきた報瀬が他人へ諦めがあるように思えて、悲しい...

 

終盤を盛り上げる演出

 水道から垂れる水滴が、雨に濡れる靴を連想させるシーン。踏み出す不安を思い出してしまう。

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 キマリが1人で走っているシーンと2人で走っているシーンの対比。

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キマリの「諦めなさ」

  報瀬とキマリが初めてベランダで話した時は、キマリが他の生徒と同じように感じられたため、報瀬は貴子の本を返してもらう。報瀬から見た第一印象としてはあまり良くないと思うんだけど、キマリは図書館で同じ本を借りて、再び報瀬に会いに行く。この「諦めなさ」が1話において、キマリが一歩進めた、重要なファクターだと考えています。

 これに関しては全編を通したテーマなので、各話で言及したいと思っています。

 

 

1話のまとめ

 あまりに美しいアニメであるね。1話は時間が掛けられることもあってか、完成度が高すぎる。2018年でもアニメはまだこんなに面白いのか!と感動を与えてくれる1話でした。あと、2人で旅するEDが良過ぎて泣いちゃう。

 

2話へ続く 

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